人づくり100年

五藤怜奈さん

2020年の東京オリンピックを
目指しています

陸上競技部
五藤怜奈さん

中部学院大学 人間福祉学部 人間福祉学科

プロフィール
岐阜市出身
境川中学校、済美高等学校卒業
中学から陸上を始める。当初は長距離と競歩だったが、高校から競歩一本に絞る。高校2年の時に新潟インターハイ4位、3年の時に全日本ジュニア選抜競歩大会優勝。
大学では、世界ジュニア陸上10000m競歩6位、世界競歩チーム選手権シニアの部20km競歩に出場。全日本インカレ4連覇。

世界ジュニア陸上(大学1年時)
世界ジュニア陸上(大学1年時)

文武両道を心がけています

私は2020年の東京オリンピック出場を目指し、日々練習に励んでいます。
朝は4時に起床し、遅くとも5時半には練習を始めています。済美高校の長距離・競歩のコーチ、多久島努先生に指導していただきながら、時には母校の生徒と一緒に練習をすることもあります。
無事、全日本インカレで4連覇を果たすことができ、今は2018年2月に行われる日本選手権に向けて練習しています。この大会は、2018年アジア選手権と世界競歩チーム選手権の代表選手選考会を兼ねているので、何としても結果を出したいです。
大学では、福祉について学んでいます。現在は、卒業論文に励んでいます。大学4年間、大会や合宿などで公欠をすることが多かったのですが、授業も最前列で受けるなど、文武両道を心掛けてきました。


世界競歩チーム選手権(大学4年時)
世界競歩チーム選手権(大学4年時)

在学中の思い出

在学中の1番の思い出は大学4年時の全日本インカレです。
3年の秋頃から人生初の不調が続き、それまで負け無しだったのが、気付けば4連覇のチャンスはインカレだけになっていました。不調で自信はありませんでしたが、心のどこかで「インカレだけは4連覇したい。」と思っていました。これは、監督もコーチも両親も同じだったと思います。
夏の暑い中、早朝から夕方まで練習を繰り返しました。また、食事制限も厳しく、もう千切りキャベツは見たくないほどでした。それでも、どうしても勝ちたかったですし、負けたら競技を辞めるつもりでやろうと思っていました。
インカレのスタートラインに立ったとき、自信はなかったですが、ワクワクしてきて「10,000m楽しもう」と思えました。競技中、監督、コーチ、先輩二人、後輩、両親が応援をしてくれました。1位でゴールした時、「やってきてよかった」と初めて思えました。その時の夢のような感覚は今でも残っていますし、いつ思い返しても涙が出てきます。競技歴10年目にして心から周りの人の支えのおかげだと思いました。
私のレースを見て、「感動しました」や「頑張ればできるということも思い知らされました」などのコメントを頂けて、もっと頑張ろうと思えたレースでした。

岐阜済美学院へのメッセージ

この度は学院創立100周年おめでとうございます。
済美学院に入学し、私の中の世界が一変しました。
今の私があるのは、済美高校、中部学院大学の先生方、先輩方、後輩のおかげです。
また、応援してくれる同級生の支えもあります。この温かい方々に出会えたことに感謝しています。
この道を選んで本当に良かったと思っています。
卒業後も競技を続け、済美学院初のオリンピック選手として活躍したいと思います。
学院の後輩たちの目標になれるように努力します。
最後になりましたが、学院のますますの発展を心よりお祈りいたします。

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