人づくり100年

毛利泰子さん

脳神経外科医として
現場に立つことができたのは、
恩師のお導きがあったからです

脳神経外科医
毛利泰子さん

岐阜済美高等女学校 1948年3月卒業

プロフィール
早稲田大学を経て、東京女子医科大学に入学
同大学院卒業後、医師免許証取得 女性脳神経外科内科博士号授証
東京女子医科大学付属病院脳神経外科入局
同センター室長講師などを歴任
東京荒川名倉病院副院長などを経て、岐阜市で毛利医院開設
現在は医療法人社団誠広会理事、岐阜中央病院デイケアセンター長として在任中

関キャンパス訪問時に学院長と
関キャンパス訪問時に学院長と

自立した女性を志し、脳神経外科医の道へ

脳神経外科医として50年以上にわたり、医療の現場に関わってきました。
大学4年の時に休学し、東京女子医科大学に入り直して医師を目指しました。
卒業後、同大学付属病院で脳神経外科医1期生として現場に立ちました。
岐阜に戻ってきてからは毛利医院を開設して、医療に携わってきました。
現在は、医療法人社団誠広会理事、岐阜中央病院デイケアセンター長を務めています。


東京女子医科大学附属病院にて(1979年頃)
東京女子医科大学附属病院にて(1979年頃)

済美高等女学校時代の思い出

岐阜済美高等女学校に入学したのは戦中でした。その頃、学徒動員があり、飛行機のガソリンを入れる部品を作る工場に行くという経験もしました。振り返ってただ一つ残念なことは、学校給食をみんな一緒に食べられるチャンスがなかったことです。

在学中は龍子先生や孝先生、登喜夫先生から教わった考え方が、私の人生の大きな道標となりました。毎回30分ほどある礼拝で龍子先生や孝先生は「女性もこれから独立して生きていく時代。女性がしっかりしていかないと国は保てません。平和を作るのは女性です」と何度もおっしゃっていたのがずっと心に残っていました。

大学卒業を控え、出版社の総合職に就きたいと考えていましたが、当時、女性ができる仕事内容は秘書や受付業務でした。女性が自立して男性と同等にできる仕事は、医師または教師しかないことを主任教授から聞き、猛勉強して医者になることを目指しました。女性医師の養成などに尽力した吉岡彌生先生が創設した東京女子医科大学(前身は東京女医学校)で学びを深めました。その後、脳神経外科医として現場に立つことができたのは、龍子先生や孝先生をはじめとした恩師の先生方のお導きがあったからこそ、私の人生が切り開けたものと思っています。

岐阜済美学院へのメッセージ

学校法人岐阜済美学院100周年、本当におめでとうございます。
戦争で当時の校舎は燃えてしまいましたが、70余年が経ち、高校はもちろん、現在は立派な大学と短期大学部を擁し、素敵なキャンパスを見る機会にも恵まれ、本当に感動しました。

男性と女性ではさまざまな性差はありますが、男女が一つの家族を形成し、それぞれの持ち分を大切にし、お互いに感謝し、尊敬し、人間としての役目を感じることが生きていく上でとても大切です。その土台の上に子どもたちの成長があり、子どもたちは伸びていきます。まさに草木と同じで、幼児教育はとても重要になってきます。
岐阜済美学院は、その必要な教えを実践されていて、在学していたことに誇りを感じると共に、本当にうれしく思います。

近未来、日本をリードするのはまさに青少年です。
時を無駄にせず、自分の道を、指標を持って歩いてください。人生の道は前方にしか向いていません。
どうか私などが望めもしなかった美しい学院と恵まれた指導者のもとで歩んでください。

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