人づくり100年

河野英太郎さん

幼稚園で過ごした3年間は、
人生でもっとも屈託なく、
限りなくのびのびした時間でした

作家
河野英太郎さん

中部女子短期大学附属幼稚園 1980年3月卒園

プロフィール
岐阜市立常盤小学校、岐阜市立青山中学校、岐阜県立岐阜北高校を経て平成9年3月東京大学文学部卒業。
同大学水泳部主将。
グロービス経営大学院MBA。
現在、日本アイ・ビー・エム株式会社に勤務する傍ら、株式会社Eight Arrows代表取締役として事業を経営。

四国での講演の様子
四国での講演の様子(壇上が本人)

理想実現のため、日々邁進しています

所謂サラリーマンとして日本アイ・ビー・エム株式会社に勤務しながら、株式会社Eight Arrowsを起業し、著述・出版・セミナー・大学院講師業などに従事しています。
著書にシリーズ120万部を突破した「99%の人がしていないたった1%の仕事のコツ」「同リーダーのコツ」「同メンタルのコツ」(ディスカヴァー21)、「現代語訳 学問のすすめ」(SBクリエイティブ)などがあります。
企業人の立場から、日本の8000万人を超える働く人たちがいかに生産性高く働き、人生の時間を充実して過ごせるようになるために、自分のキャリアを投じようと考えています。
サラリーマンとしての仕事も、起業家としての仕事も自分の理想実現のためになるよう日々邁進しています。


聖誕劇の1シーン
聖誕劇の1シーン(黄色の衣装が本人)

幼稚園時代の思い出

40年前の記憶ですが、覚えていることが多いです。
入園前に「温かい給食がいただける幼稚園に」と、今はなき祖父(生きていればちょうど100歳です)が早朝から出願のために並んでくれたこと。
どうしてもシイタケが食べられなくて、机の下に落として先生に怒られたこと。
園庭で食べた焼き芋の味。
イースターの時に持ち帰った卵。
「東方から来た博士」役をやった聖誕劇。
サンタさんはいつもバスの運転手の林さんでした。運転手の業務の一環だと理解していました。だから一度たりともサンタが実在すると信じたことはありませんでした。

岐阜済美学院へのメッセージ

創立100周年おめでとうございます。
中部女子短期大学附属幼稚園で過ごした3年間は、間違いなく私の人生の中でもっとも屈託なく、限りなくのびのびした時間だったと思います。そんな環境を実現してくださった先生方、事務の皆様、経営の皆様に感謝申し上げます。

先生方からいただいた言葉の中で未だに覚えている言葉があります。
「光の子らしく歩きなさい」
幼稚園当時、シンプルな音声に過ぎなかったこの言葉。
今、日々の雑事の中で忘れそうになることを思い出させてくれるように思います。
時折、この言葉の意味を自分に問いかけながら今後も歩んでいきたいと思います。

貴学におかれましても次の100年、新たな「人づくり」に向け、さらなるご発展をお祈り申し上げます。

人づくり100年一覧へ戻る

ページトップへ